建武二年東大寺衆徒が嗷訴を起こした時の事書の草案

〔六九八〕は、建武二年十月廿二日、東大寺衆徒が、別当信聰の停廃に関連して、信聰が衆徒に朝敵陰謀のありしことを公家に上申せるを不当として、特に嗷訴を起こした時の事書の草案である。次に〔六九九〕は、建武二年五月二十五日、東大寺造営の勧進の事等に関する事書である。これらの例に依って、大体その形式を窺い知ることができる。とのことです。

なおこの部類に入るべきと思われるものに〔七〇〇〕〔七〇一〕の如き文書がある。これは永正五年三月廿八日、大和多武峯の衆徒が群議を遂げて、寺社造営の勧進聖等を定めて、之を広く示さんとした一種の事書と思われる。とのことです。