券文は売買当事者で取り交わす証文へと変化

さてこの文書は、京都における家地売買にあたって正式に立てた券文である。地方においては坊令が郷長に代わり、この郷長の解に対し、職判に代わって郡判、国判が加えられて成立するものであった。この規式は大体平安時代中期まで守られていたのであるけれども、その後になると先の規式に従わず、券文は売買当事者の間で取り交わす一つの証文と変わってきた。そのような売券にはもはや官庁の印は捺してない。まま売買の対象あるいは当事者に関係ある寺院の管理者等が承認の署判を加えたものなどあるけれども、全く私の相対関係で作成する文書と変わってしまうのである。この種の文書については、後項で説いてある。

なお、この文書においてその署名のなかに、自署として判然としているものと、草名すなわち自署名を草書体に書き慣わしたものになったと認められる売人大海當氏の署名のごとき、自署から草名に移り変わりの状態を示すものとが交わっていることは、署判の形式の変化した時代を知る上に注意すべき資料である。とのことです。