源頼朝の伊勢国波出御厨宛、袖判下文

第五種 武家下文

        (花押)(頼朝)

 下 伊勢国波出御厨

  補任 地頭職事、

   (異筆)「左兵衛尉惟宗忠久

 右件所者、故出羽守平信兼党類領也、而信兼依発謀反、令追討畢、仍任先例、為令

 勤仕公役、所補地頭職也、早為彼職、可致沙汰之状如件、以下、

   元暦二年六月十五日

 

この文書は、源頼朝島津忠久を、平家の旧領で没収した伊勢国波出御厨の地頭職に補任するために出した下文である。袖に加えてある花押は頼朝のものである。下文の充所は波出御厨となっているが、その内容の記事に関する者の許に与えられるものであった。なお左兵衛尉惟宗忠久の一行は、本文と筆跡が相違している。これは文書作成の折、任人の名だけ別筆にて加えたものであろう。同日附で忠久を伊勢国須可庄の地頭職に補任した下文もある。同日附で恐らく多数の下文が作られたので、任人をまとめて記入する手順をとったものと思われる。これは文書作成の次第を考える上に貴重な資料というべきである。とのことです。

 

この伊勢国波出(はた)御厨の下文は、佐藤進一『古文書学入門』にも図版入りで紹介されていて妙に記憶に残っています。