今川氏の一里は六十町、北条氏の一里は六町

之に依って当時に於ける今川氏分国内の伝馬制度がよくわかる。因みに一里十銭の伝馬賃と、小田原北条氏が行っている一里一銭の伝馬賃と対比して、今川氏の一里が六十町、小田原北条氏の一里が六町の割合であったことが知られるのである。かような制規の中から当時の里程を計る標準を窺うこともできる。とのことです。